努力とはエネルギーを注ぐこと

注力

エネルギーを注ぐ先は、心からそうしたいと思うところに注ぎたいね

でも、生まれた時から環境に方向性を決められていたらどうか

あとから全然違うやりたい事が出てきちゃったらどうするか

がむしゃらにがんばる習慣がついて大人になったとき、努力しすぎて体を壊しやしないか

なにも勉強やスポーツなどのことだけじゃなくて

たとえば謙虚であるという大切なことが

育つ課程のどこかで行きすぎて

自分を自分で認められなくなったとしたら

上手くいかないことの原因を自分にしか探せなくなってしまったら

自信を持って自分を表現できなくなってったら

より力のある人に追随することを選んで

自分の声を持たず、誰かに責任を持たせて

それで生きたい生き方が出来てればいいよ

でももし、子ども時代から頑張れ頑張れと言われて

何かがうまくいかないとき、頑張り不足という刷り込みで考える様になっちゃったら

もっと頑張ろうとして、でも努力の方向がもしかしたら違うかもしれない

 

謙虚さを持って生きていると思ってたら

いつの間にか自信を失っていて

自分本来のエネルギーを誰かに吸い取られ続けてるかもしれない

それでも今の組織を離れられない、と思うかもしれない

 

でも一番すぐに出来ることは、自分を手繰り寄せることで

無意識に追い込み続けてどっかに行ってしまった、自分を信じる力、を、編み物みたいに少しずつたぐり寄せてくんだ

新しいインプットをしたり、思ったことを書いてみたり、ちょっとずつ

機織りみたいにね、時間かかるよ

 

僕らやぼくらを育んだ人間たちに根付いてるものがある。

人類が力を持ちすぎた、ということによる、成功と失敗だ。

ぼくらは今目立ってる先人たちと同じ生き方は出来ないのだよ

彼らの真似をして上手くいくことは少ないよ

その先は僕らが想像力を働かせるしかないよ

そうじゃ無いと、地球環境も人の心も持続しないなって、最近すごく思うんだ

そして、もっと頑張れ、もっともっと、と人に言われたり、自分に言い聞かせてしまっている人たちに、

時々、『頑張らない様に頑張ってね。』って声をかけることがあるんだ。