人間活動♪

  • より良い音楽がしたい の一心で
    育児する 本を読む 心と向き合う
    今までを振り返り、これからも持っていたいものと、もう持たないもの(心の中の話)とを選ぶ
    持たないと決めたものを捨てる時って、心の中で断末魔が聞こえるんですね(私だけかな)
    最近はそういう心の作業を済ませた後に、思い切り楽器を弾きたい、と思います。
    (20代の頃は、逆に楽器を弾きながら心の取捨選択をしていたような。)

    『音楽の良さって、奏者が持っている解像度に尽きると思うんです』
    そんな友人の言葉がずっと残っている
    では解像度の高さは何から来るか?
    心の枷がないこと、かな、と思っている。
    そうしたら、インプットもアウトプットもスムーズだから。

    じゃあ心の枷はどうやったら取れる?
    それが、持つことと持たないことを自ら選択することかな、と思うわけです。
    窓ガラスの曇りを取るような。少し、野生に還るような。

    どんなにこの数百年で文明が発展しようと、
    私たちは数百年かけて進化した野生動物的な身体と脳味噌を持っている。
    野生で生きていた時に必要に迫られて身に付けた「恐怖」。
    それを乗り越えて、初めて芸術を美しいと思える。愛することが出来る。
    心がこれだけ発展したのは、地球が出来たのと同じくらいの奇跡だなぁ、と思う。

    • 努力とはエネルギーを注ぐこと

      注力

      エネルギーを注ぐ先は、心からそうしたいと思うところに注ぎたいね

      でも、生まれた時から環境に方向性を決められていたらどうか

      あとから全然違うやりたい事が出てきちゃったらどうするか

      がむしゃらにがんばる習慣がついて大人になったとき、努力しすぎて体を壊しやしないか

      なにも勉強やスポーツなどのことだけじゃなくて

      たとえば謙虚であるという大切なことが

      育つ課程のどこかで行きすぎて

      自分を自分で認められなくなったとしたら

      上手くいかないことの原因を自分にしか探せなくなってしまったら

      自信を持って自分を表現できなくなってったら

      より力のある人に追随することを選んで

      自分の声を持たず、誰かに責任を持たせて

      それで生きたい生き方が出来てればいいよ

      でももし、子ども時代から頑張れ頑張れと言われて

      何かがうまくいかないとき、頑張り不足という刷り込みで考える様になっちゃったら

      もっと頑張ろうとして、でも努力の方向がもしかしたら違うかもしれない

       

      謙虚さを持って生きていると思ってたら

      いつの間にか自信を失っていて

      自分本来のエネルギーを誰かに吸い取られ続けてるかもしれない

      それでも今の組織を離れられない、と思うかもしれない

       

      でも一番すぐに出来ることは、自分を手繰り寄せることで

      無意識に追い込み続けてどっかに行ってしまった、自分を信じる力、を、編み物みたいに少しずつたぐり寄せてくんだ

      新しいインプットをしたり、思ったことを書いてみたり、ちょっとずつ

      機織りみたいにね、時間かかるよ

       

      僕らやぼくらを育んだ人間たちに根付いてるものがある。

      人類が力を持ちすぎた、ということによる、成功と失敗だ。

      ぼくらは今目立ってる先人たちと同じ生き方は出来ないのだよ

      彼らの真似をして上手くいくことは少ないよ

      その先は僕らが想像力を働かせるしかないよ

      そうじゃ無いと、地球環境も人の心も持続しないなって、最近すごく思うんだ

      そして、もっと頑張れ、もっともっと、と人に言われたり、自分に言い聞かせてしまっている人たちに、

      時々、『頑張らない様に頑張ってね。』って声をかけることがあるんだ。

      • 4月から母校の高校生、大学生を教えるようになって、あっという間に半年が経ちました。
        何かを説明しようとして物事の知らなさに気づかされたり、嬉々として指の力の入り方の詳細を語ったりして、つくづく自分は好きなことや興味に偏りがあるなあと感じているこの頃です。

        でも、興味のある対象は昔から変わっていなくて、ヴァイオリンを使っていかに楽にいい音を出すか、あとどうやってヴァイオリン以外のことをヴァイオリン演奏に取り込むか、ということが蓄積してきています。にわか健康オタクみたいな感じです。

        1日何時間も練習することが当たり前になると、ヴァイオリン演奏は難しい、という本当は不要な知識というか、無意識の刷り込みが、思っているよりもあるのでは無いか(自分はあったから20代は凄い力んでた)。そしてその思い込みを外して『必ず方法論がある』という事実を信じるようになれば、それは身体における骨盤矯正のような、非常に効果のあるものになるんじゃ無いかな・・・という仮説を、皆さんと共有し実験しているところです。

        また、これまでにお世話になってきた師匠たちの教えをありがたく反芻しながら、それらをそのまま伝えることもあります。師〇〇はこう言っていた・・・というように。

        コロナで色んなことがごっちゃごちゃになってしまって、だんだんと、やっと目が覚めたような、これから乗り切って行こうという気持ちや、これからは本当に『やりたい!!!』と思えないと続かないなという予感とかがあります。

        そんな中、本当に自分がありたい姿でなくちゃと、プロフィール写真も撮り直しまして、もうすぐ新生尾池をこちらでも公開できると思います。

        これは、去年の夏頃。1年前と今はすでに違った顔に見えると思います🎶

        • 梅雨が長いんですけど楽しい今日この頃です!
          梅雨がとっても好きで…ヨーロッパに少し住んで、梅雨がない寂しさを知ったからかもしれないし、日本がどれだけ程よく潤いのある気候を持っているかを感じて嬉しくなるんです。
          この時期に出てくる紫陽花とカタツムリは名コンビですよね💠🐌🌿

          以前こんな絵も描きました。

          雨だれくんは私の中で定番キャラクターです😊
          手紙の拝啓とかで雨が鬱陶しいとか書かれることもありますが、雨だれくん曰く「僕らがいないと君たち乾いちゃうよ?」です。
          それに、降ってくる雨粒いっこいっこが、こんな顔で喜んで降ってきているんだとしたら。想像するだけでちょっとウキッとしますよね☺️
          きっと♪ピッチピッチちゃっぷちゃっぷランランラン♫の歌も、子供達みんなも、そんな雨の見方をしているんだと思います。

          もちろん、楽器にとっては湿気てると鳴りにくいのですが…それでもお世話になっている工房では「自然が一番」で、特段工夫することもなく、湿気と乾燥を行き来して、板が剥がれたらくっつける、くらいの心づもりで楽器の面倒を見てくれています。

          最近は気候変動で、日本でも亜熱帯のようなスコールが日常となり、いつまでシトシト雨の梅雨を楽しめるかな…なんて思ったりすると、余計にこの季節が愛おしく感じられます。

          淡いグラデーションの紫陽花も、白とも灰色ともつかぬ雲の色も、湿気に乗って香る畳の匂いも。忘れたくない梅雨色の光、です。